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福岡家庭裁判所 昭和45年(家)1543号 審判

申立人 津村光枝(仮名)

被相続人 塩見順治(仮名)

主文

被相続人亡塩見順治の別紙物件目録記載の相続財産(亡市野正夫所有名義)を申立人津村光枝に分与する。

理由

1  本件申立の要旨。

申立人は主文同旨の審判を求める旨申立て、申立の実情として、

(1)  申立人は被相続人塩見順治の姉亡市野愛子の養子亡文夫の実母であるところ、申立人の亡夫市野康明は幼少であつた明治三九年一二月四日亡市野正夫並びにその妻前記愛子の養子となつたが、康明の兄広隆が明治四五年三月一五日死亡したため実家である津村家を継ぐため昭和二年三月一四日正夫夫婦と離婚して津村家に復籍した。ところで正夫の死亡後昭和一九年四月二六日申立人の二男文夫は正夫の妻愛子の養子となつたが同人は昭和二五年一一月二六日死亡した。かくて津村家と市野家とは養子縁組を通じて深い関係にあつたものであつて、申立人は正夫の生前から、同人及びその妻愛子と同居していたものであり、殊に愛子が老境に入つてからは同人が昭和二七年一〇月三〇日七九歳の高齢で死亡するに至るまで、その生活、看護一切の面倒を見てきたのである。

(2)  市野正夫は別紙物件目録記載の不動産を所有していたが、同人は昭和一四年四月三日死亡して相続が開始し、その妻愛子が家督相続をして右物件の所有権を取得したが、同人は昭和二七年一〇年三〇日死亡して、相続が開始し、同人の弟塩見順治が相続により右物件の所有権を取得したのであるが同人は早くから各地を放浪して所在不明であつたところ、後に同人は昭和三四年一月一二日下関市内において死亡したことが判明した。而して同人には全く係累がなく、相続人はないのである。

(3)  以上の事実関係のもとにおいて申立人は市野愛子と特別の縁故があつたものであるところ、本件物件は同人の死亡により、その弟塩見順治が相続によりその所有権を取得したとはいつても、同人は永く各地を放浪し、所在不明となつていたものであり、同人の死亡がすでに確認された以上、同人の所有権取得は単なる名目上の事柄にすぎないものというべきである。そこで申立人と右愛子との特別縁故関係に着眼して、本件相続財産は申立人に分与されるべきものとするのが相当であると思料し、本件申立に及ぶと述べた。

2  当裁判所の判断

(1)  本審判事件の管轄について

家事審判規則第九九条によれば、相続に関する審判事件は被相続人の住所地又は相続開始地の家庭裁判所の管轄とすると定められ、本件における被相続人の住所地並びに相続開始地は、山口県下関市であるから、本件は山口家庭裁判所の管轄に属するものといわなければならない。然しながら、後段認定の事実関係のもとにおいては、本件はこれを当裁判所において処理する必要があるものと認め家事審判規則第四条一項但書の規定により当裁判所が自らこれを処理することとする。

(2)  当裁判所のなした事実調査の結果並びに関連事件である当庁昭和四四年(家)第八六八号同年(家)第九七〇号、昭和四五年(家)第一三二号各事件の記録によれば、以下の事実を認めることができる。

(イ)  申立人の亡夫市野康明は幼少であつた明治三九年一二月四日亡市野正夫並びにその妻市野愛子の養子となつたが、康明の兄広隆が明治四五年三月一五日死亡したため、実家である津村家を継ぐため昭和二年三月一四日正夫夫婦と離縁して津村家に復籍した。ところで正夫の死亡後、昭和一九年四月二六日、申立人の二男文夫は正夫の妻愛子の養子となつたが同人は昭和二五年一一月二六日死亡した。かくして津村家と市野家とは養子縁組を通じて、深い関係にあつたものであり、申立人は正夫死亡後は、右愛子と同居して生計を共にしていたが、殊に後段認定の通り、同人が昭和二七年一〇月三〇日七九歳の高齢で死亡するに至るまでの数年間は健康にすぐれなかつた同人の療養看護に力を尽した。

(ロ)  ところで正夫は別紙物件目録記載の不動産を所有していたが同人が昭和一四年四月三日死亡して相続が開始し、その妻愛子が家督相続により右物件の所有権を取得し、更に同人が昭和二七年一〇月三〇日死亡して、その弟順治が相続により右物件の所有権を取得したが、当時同人は所在不明であつたところ、後になつて同人の肩書地で昭和三四年一月一二日死亡し、その旨家屋管理人申立外小宮太一により届出でられたことが判明した。

ところで右順治には相続人がないため、相続人不存在として相続財産管理人に申立外津村春男が選任され相続債権申出の催告、相続権主張の催告など所定の手続がとられたが催告期間内に相続債権の申出も相続人の申出もなされなかつた。

(ハ)  而して申立人は、市野愛子が老境に入つてから、同人と同居して生計を共にしたのであるが、同人は喘息の持病があつて生活能力がなかつたので、申立人はその生活並びに療養看護に力を尽し生活費、療養費及び葬式の費用を負担したのみでなく、現に正夫、愛子らの位牌を守りながらその祭祀を行いつつある上に、その間本件畑三筆の耕作は専ら申立人夫婦がこれに当り、申立人の康明が昭和二七年一一月三〇日死亡した後は申立人がその子供らとともにその事に当つているのであつて、本件相続財産の維持に寄与したのであつた。

(ニ)  以上認定するところによれば、本件土地は愛子の死亡により相続が開始し被相続人塩見順治が相続によりその所有権を取得したものというべきであるが、同人は早くより各地を放浪してその所在が不明となつていたものであり、その間に死亡するに至つたものであるから、同人の所有権取得は単に名目上のそれにすぎないものと見るべく本件相続財産の処分の当否を判断する関係においては、その先代愛子との特別縁故関係の存否によつて事を決すべきものとするのが相当であるところ、前段認定の事実関係によれば申立人は愛子と特別の縁故があつたものと認めることができる。よつて本件相続財産はこれを申立人に分与すべきものとし、民法第九五八号の三を適用して主文の通り審判する。

(家事審判官 川淵幸雄)

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